さが地元就職記

新卒、UJIターンなど佐賀での地元就職体験を紹介します。今回は佐賀ターミナルビル株式会社(佐賀市)の石橋泰宏さんを紹介します。

2015年12月28日更新

石橋 泰宏さん  佐賀ターミナルビル株式会社   企業情報を見る

いしばし やすひろ/佐賀市出身。大学では機械工学を専攻。卒業後、国内大手の食品容器メーカーに入社し、紙容器の生産ライン立ち上げなどを担当する。2012年8月から佐賀ターミナルビル株式会社に勤務。

人と触れ合う仕事を、ふるさとで

■現在のお仕事内容を教えて下さい。

 佐賀県の空の玄関口、佐賀空港のターミナルビルの管理、運営を行っています。建物の維持はもちろんですが、ご利用になるお客様が快適に過ごしてもらえるよう、夏場は特に空調の設定で省エネと快適さのバランスに頭を悩ませています。
 当社は比較的小規模の会社なので、担当する業務以外にもさまざまな仕事を全員で分担しています。私も空港の総合案内に立ったり、外貨両替所の窓口業務を行ったりすることもあります。何より、佐賀県の重要な交通インフラの発展に携わることができることに大きなやりがいを感じています。

■前職での経験と、Uターンに至る経緯についてお聞かせ下さい。

 高校卒業まで佐賀市で過ごし、都内の大学に進学しました。専攻は機械工学。卒業後は食品容器メーカーに技術者として入社しました。生産技術の部門に配属され、コーヒーや菓子など紙容器の生産ラインの立ち上げや、品質向上などの業務を担当しました。街中で自分が関わった商品を手にしている人を見ると、嬉しかったですね。ただ、愛知や岐阜の工場に長期出張することも多く、長いときは半年という期間もありました。

家族が顔を合わせる喜び、毎日実感

 佐賀へは盆と正月、合わせても年に10日ほど帰ってくるだけでした。そんな時、この生活があと30年ほど続くと考えて、佐賀で両親と過ごす時間は通算で300日ほど、つまり1年にも満たないと思ったとき、何となくさみしい気持ちになったことを覚えています。それでも、佐賀には仕事がないという先入観も持っていましたから、Uターンへの一歩をずっと踏み出せずにいました。
 2011年3月11日の東日本大震災時、私は岐阜県にある関連会社の工場に出張中でした。何とか神奈川県内の自宅に帰ることはできましたが、頻発する余震など不安な日々を送る中で、私と妻が出した結論は、「妻子で佐賀に避難する」ということでした。妻は、当時0歳だった娘の出産を佐賀で行っていたこともあり、出身地の千葉と同じくらい、佐賀を好きでいてくれたことも後押ししました。
 私は3世代同居の家庭で育ちましたから、2人の子どもたちにも同じような環境で育ってほしいと思っていました。震災の経験は、家族をより強く意識するきっかけとなり、佐賀へは一時避難でなく、Uターンしようと決心しました。

■全くの異業種への転職。そして佐賀での新生活はいかがでしょうか。

 技術者として社会人生活をスタートさせましたが、さまざまなプロジェクトに携わる中でこれからは工場を出て、技術職から総合職という、より多くの人と出会い関わる仕事への興味が強くなってきました。佐賀での仕事を探すに当たっては、「さがしごとネット(現「さがUターンナビ)」への登録から始めました。東京で開かれた佐賀県の説明会に足を運び、相談員に異業種へ挑戦したい旨を伝えました。その結果、縁があったところが佐賀ターミナルビルでした。  私生活でも、私と妻、そして父が共通の趣味としているソフトテニスの大会に出場するなど家族の触れ合いは大変増えました。家族全員がほぼ毎日顔を合わせますし、祖父母も同居しておりますから子どもたちもさみしい思いをすることはないでしょう。佐賀に戻ってきたからこそ、公私ともに充実した毎日を送ることができていると感じています。

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